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Mirai006S「 ヴィクトリアンの鹿 ブラックダイヤモンド編 」
GoldenClassic
みらい
no. 6
bespoke
ClassicCufflinks
ヴィクトリアンの鹿
limited edition
「ブラックダイアモンド」
2020年で世界はもういちど転換する、
2008年の12月15日、そう今から3年前の凍てつく冬のロンドンでひとりの男が息をひきとった、あと10日も生き延びれば69回目のクリスマスを迎えられたというのに、、、
その男の名前はデイヴィ・グレアム、
英国フォーク界の伝説のギタリストで、
商業的には決して「成功」したとは云えないから、多分貴方も知らないかもしれない、
グレアムは「ミュージシャンズ ミュージュシャン」ともいえる今振り返るとブリットサウンドの「発展」にとってはかけがえのない役割を果たした存在だったんじゃないかな、
グレアムが1960年代に編みだした通称「DADGAD」(open D sus4)と呼ばれるオープンチューニングは、
その後のペンタングルやフェアポートコンヴェンション、バート・ヤンシュやジョン・レンボーンをはじめとする「フォーク ブリタニア」の名ギタリストや、
レッドツエッペリンが代表する静から動へとドラマチックに展開していく英国純粋ハードロックのイデオムや、
はてはクロスビー、ステイルス&ナッシュやジョニ・ミッチェルが煌めいていた頃のウエストコーストのアコーステイックサウンドを間違いなく進化させたし、
The Smithのギタリスト、ジョニー・マーさえグレアムからの影響を公言している、
まるで子供みたいに音楽に熱中していたと彼を知るヒトは語る、
商売上手とはいえない人柄で、ファンだったポール・サイモンは見かねて少しでも彼にお金がはいるようにとグレアムが19歳のときに作曲したフィンガーピッキング奏法が印象的なインストルメンタル曲「Anji」をサイモン&ガーファンクルのアルバムに取りあげた、
1970年代までに製作したアルバムのひとつひとつがグレアムの音楽への「熱中」を示している、
代表作「Folk,Blues,and Beyond」のタイトルどおりクラシックやジャズ、ケルテイックという「想定範囲」からどこまでも「Beyond」していき、インド音楽やとくにモロッコ音楽など中東の旋律を取り込んだのはグレアムが先駆者ではないだろうか、
しかし、こういうヒトにありがちなことで離婚やドラッグにも溺れたりして音楽活動を休止してしまう、「休止」というと聞こえは良いがかなり精神的にも病んでいたんだろう、
その間には印度の神秘思想家バグワン・シュリ・ラジニーシに傾倒なんかもしていたらしい、
云わば「遭難、行方不明」になっていたグレアムを見つけ出し、再び音楽活動に引きづり出したのはかつてのファンであったバート・ヤンシュやダック・ベイカーだった、
つまり、自分の想いで妥協なく積み重ねていたことがヒトの心に忘れ難く残っていて、それが自分の人生のダークなときに再びヒトを動かして、100%純粋な好意から自分を新生させてくれるという、そういうところがこのヒトの人生の素晴らしいところで、それはやはり自分に忠実だったからに違いない、
2007年にリリースされた約28年ぶりの新作となる「壊れたビスケット(Broken Buiscuits)」と名付けられた最後のアルバムの製作過程は彼の人生の幸せを集約している、
この自主製作アルバムは
336人のファンが「予約」をして代金を事前に送金することによって製作の経済的な支援が行われた、
その336人の名前はすべてCDのブックレットに記載されている、
ちなみに完璧主義者のグレアムは「予約」から実際にファンの手元に届けるまで2年以上もの歳月を費やしている、
彼の人生は多分「ダイアモンド」だ、
それもプライドに溢れた「ブラックダイアモンド」な人生だ
決して分かりやすくはないし、これ見よがしの煌めきは抑えているが、「漆黒に」底光りのする魅力溢れる煌めきを秘めた唯一無二の人生だ、
男ってのはこうありたいね、
「みらい」にアトリエの工芸の粋を尽くした傑作をひとつづつ残そうと強く思っています、
そしてそれは、モノだけじゃなくメンバーと一緒に「愉しいみらい」を創造していくものにしたいと望んでいます、
傑作には必ずソレなりのバックストーリーがあって、
それを発注し、受け取るメンバーの方とのやり取りや仮縫いなど、そういうところから「愉しいみらい」が予定され、積み重なっていくんだと思います、
その「愉しいみらい」のために、唯一無二の素材や練りに練った仕立ての工夫や、すご腕の職人たちの真摯な愛情を用意しています、
「みらい」のニュリリースは「傑作」です、
愛する「ヴィクトリアン」へのオマージュともいえる、360度パーフェクトな完成度で刻み込んだヴィクトリアンのレインデイア(鹿)の一体形のカフリンクス、
パーフェクションな精緻さを目指しました、
スターリングシルヴァー製ですが珍しい「リュートミニアム」をプレーテイングし、鹿の眼には「ブラックダイアモンド」を嵌め込んであります、
限定受注製作です、
そろそろ良い人生のためのことを考えましょう、
銀座東京
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『紳士用品の歴史においてその最高のものが揃えられた時代は「ヴィクトリアン」である、
ご存じのようにヴィクトリア時代は英国の歴史上、最も繁栄を誇った黄金の時代で、私は紳士用品の完成度においてもこの時代が「トップ」だと確信している、、、』と、
一連のヴィクトリアンの「紳士の傘」をご紹介するときにも記したように私はこの時代への強いシンパシーを抱いている、
その黄金の時代の紳士用品は素直に贅沢の極みを尽くそうとしていて、
たかがヘアブラシにしろカフリンクスにしろ
素材は勿論のこと、何より職人技の限りをそのひとつひとつに究めようとしている、そして、そのことを職人は「誇り」としていた、
そこには「マーケテイング」とか「効率」とか或いは「コストパフォーマンス」なんていう貧相な不純物はかけらもない、
幸せに純粋な時代だったのだ、
穿った云い訳をすれば「六義のヴィクトリアン」ともいえるものをこの「みらい」で私は「コレクションしたい」と切望しているのかもしれない、
これからの「みらい」ではワクワクさせてくれる「Beyondなコレクション」を既にいろいろ予定しているが、
「ヴィクトリアンの紳士用品」と想い出したとき、なかでも他の時代と異なる特徴的なものが「カフリンクス」だろう、
実際、それは独特のかたちをしている、
ご存じのように、ヴィクトリア時代こそが紳士のカフリンクスの黎明期で現代のカフリンクスの歴史を遡る源泉である、
「ヴィクトリアン カフリンクス」の特徴は、カフに現れる「スライド」と袖口に留めるための「足」が「一体化」していることで、それはどこか古代の儀式道具を想わせる神話的な形をしている、
それは小さな彫刻だと私は思う、最も潔い形をしていて「始祖形であると同時に完成形」だと思う、何の手直しも悔いも必要のない紳士の持ちものとしての永遠性を持っている、
しかし確かな理由は定かではないが、この「一体型」のヴィクトリアン カフリンクスはこの時代以降、一切つくられなくなる、
憶測するに多分、足まで一体型であるが故に、左用と右用に足の曲がる方向を逆にしたものを別々につくらなければならないという風に手間がかかるせいだろう、そういう風に紳士用品は「退化」していった、
今回の「みらい」は、
「ヴィクトリアン カフリンクス」への私なりのオマージュである、
このカフリンクスの製作過程はほぼ2年余りの幸せな時間だった、これほど夢中になったことはない、
描いたスケッチは数限りなく、(多分、修正に次ぐ修正で捨てたスケッチの方が多いけど、)
職人技の極みを尽くそうと妥協のない試行錯誤は「ゼロ」からのやり直しも厭わなかった、
仕上げにかけた手間はヴィクトリアン以上の「質の驚き」を生みだせたと思う、
何より、そこには各ステージごと職人さんたちとののストレートで幸せな関係があった、
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この「ヴィクトリアンの鹿」のアイデアはウイーンの「ヘルメスヴィラ」で思いついた、
フランツ・ヨーゼフがエリザベート皇后のためにウイーンの西に拡がる森の中に建てた狩猟のためのこの別荘の一角に壁いっぱいに鹿の角が飾られた印象的な部屋がある、
鹿は人間が最も古く家畜化した動物らしい、事実、ヘルメスヴィラのあるラインツ動物保護区では今も鹿が飼育されていて、野原をゆっくりと連れ歩くその様子を身近に見ていると俳句に「春の鹿」という季語があったことを想い出した、
「思ひわすれ思ひ出す日ぞ春の鹿」( 千代尼 )
なるほど、「思ひわすれ」そして「思ひ出す」日々を重ねていくというのがヴィクトリアンや古代の我が国にあったゆったりと流れゆく「タイム感」で、
王宮のあるリンクの「華やかなフォックストロットのような速度」を離れ、こうして目の前に拡がる森や野原に身を任せて鹿の無垢な瞳やからだの動きをただ追っているとその時間の流れも会得できるような気がする、そういえば明治の頃の社交場も「鹿鳴」と呼ばれていたな、
ヨーロッパではヴィクトリアンのハンテイングボタンにもその姿をよく見つけるように、鹿には狩猟(ハンテイング)という優雅な「スポーツ」を想わせるイメージがある、
我々日本人にとっては古代の神の使いという神話的な動物でもある、、、
私はそういう風にして、ヴィクトリアン的に実に完璧に精緻で、どこか神話的にミステイックな「ヴィクトリアンの鹿」が欲しくなった、
それは職人技を結集していてとことんその技術と芸術を究めていなければいけない、、、というわけでこの「ヴィクトリアンの鹿」を完成させるまでに結局2年余りを費やすことになった、
*写真をクリックすると拡大表示します、
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この「ヴィクトリアンの鹿」のために私はかなりの数のスケッチや図面を描いた、
大概のこういうものは遠目では可愛いく見えても「クローズアップ(拡大)」すれば細部は崩れていたり手を抜いている、
細部まで矛盾なく明確に確定した図面やスケッチを作成することは集中力を絞り切るようで遂げたときは気持が良かった、
同じように、それを細部まで忠実に、或いはその図面を越えて生命を刻みこんでくれた原型を担当してくれた職人さんも「気持ち良い仕事だった」と呟いていた、
この「ヴィクトリアンの鹿」は360度どこを拡大しても姿の良い、完璧に精緻であると云い切れる、
そして、「鹿」の姿だけでなく意外に手間がかかったのがヴィクトリアンカフリンクスの特徴でもある一体形の「バーベル」の分量、バランスだった、
これは経験上付けやすいものとそうでないのがあり、
自分で製作するときは、どの角度のどれほどの長さがシャツに付けやすいのか?装着するときの感触(気持ちの良い手触り)を含め徹底的に試行錯誤して「理想型」を探り当てようと思っていた、だから、そのためだけに幾度かサンプルを製作した、
仕上がりには自信がある、原型を刻んでくれた職人さんは天才的な才能を持っていて実に真摯にその力を注ぎ切ってくれたことを私は確信する、
素材は最上質のスターリングシルバー(925)で、手間と時間を無視してかなり丁寧に「手で磨いて」ある、
銀製品の良し悪しは「磨き」の徹底さで決まる、磨きが最も時間的な「コスト」がかかるのだ、
「六義シルヴァースミス」の項にも記したが、多くのものはローターやバフで良い加減に「磨かれる」だけだ、
今回は徹底したお手本になるような素晴らしい「磨き」を実現したかった、
これほど精緻に細かく刻まれたものはリューターで細部のひとつひとつを磨きあげなければならないだが、今回はひとつの規範になるぐらいの出来だと思う、
そして、これからが今回の限定製作ヴァージョンでの特異な試みなのだが、
先ず、銀の上面に万年筆のニブにも使われる硬質金属の「リュートミニアム」をプレーテイングしてみた、
これは以前からやってみようと思っていたことで、写真ではその美しさが半減して見えるのが残念だが、
光の具合で色の濃度が変わり、何とも上品で紳士らしい品を感じさせる濃いグレイ(墨黒)のすべらかな絹のような表情を見せる、
単なるスターリングシルヴァーの輝きとはまた趣の異なる重厚さと紳士の持ちモノとしての永遠性が浮き上がったと思う、
そして、「ヴィクトリアンの鹿」の瞳に今回は底光りのする「ブラックダイヤモンド」を嵌めこんである、
小さなものだがやはり煌めきを持っている、この秘めた煌めきが紳士に相応しい、或いは紳士としての覚悟を促すものだと思う、
今回は限定受注製作です、(ひとつづつ、丁寧に製作いたします、受注後、約一カ月で完成)
スターリングシルヴァー925製、
鹿の瞳にブラックダイアモンド(両目で2粒)が嵌めこまれています、
サイズ:「鹿」 横幅最大約1.5センチ
縦約2センチ
厚み約1.3センチ
「カフリンクス全体(バーベルを含む)」
横幅最大約2センチ
奥ゆき約2センチ
縦約2センチ
*写真をクリックすると拡大表示します、
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