bespoke classic
六義RIKUGHI
Art ClassiC
「春峯×鐘月 プレミアムスピタルスフィールドタイ」
Bespoke
ClassicTie
」
The
Spitalsfield Tie
特別制作
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かつてブログ「テーラー六義」の「ClassicTie」に記したように古の紳士のタイは「3つしかありませんでした、所属を示す「クラブタイ」、カントリーで着用する「黄色い(レイプシード色)のウールタイ」そしてこの「Siptalsfield」タイです。たった、この3本のタイしか紳士は締めることを許されなかったのです。ほんとのことです。またそれで事足りたのです。
とくに、「Siptalsfield」タイはタウンでしめる主要なタイでした。
「5A」という驚愕の質を誇る「春峯×鐘月(どちらも日本原種の蚕です)」の六義シグネチャーの「スピタルスフィールド タイ」。
実はあまりに糸の質が凄すぎて、はじめてタイを織ったとき、スピタルスフィールドタイにしては光沢が強いように思えて再度織ることにしたのです。
何度も組織を設計し直し試作を重ね、独特な「もろけ糸」(決して「もろけない」ほどの古代的な強撚糸)を緯糸200本という超密度で織り込んだのがこの「春峯×鐘月 スピタルスフィールド タイ」です。
「質」としては「タイという概念」をはるかに越えてしまっています。
世界で唯一のものだと思います。
仕立ては名人渾身の作です。ひとつひとつ丁寧に天才的な手で仕上げられています。手縫い独特のふっくらとしてかつすさですまじい精緻さです。
タイを越えた「アート」。クオリテイーの限界を極めた「作品」です。
Spitalsfieldタイについての私の思い入れ、その右往左往した制作過程はついてはこの「ClassicHaberdasher」でも何度も記してきましたが、それはある意味で貴重な巡り合いの記録でもあるので下記に再録いたします。
スピタルスフィールドタイは不思議にどんなスーツにも似合い、本物の出自の良さと威厳を感じさせます。これこそ紳士が生涯愛用すべきものです。
だからこそ、「本物」でなければなりません。タイはこの一本さえあれば良いともいえます。私が愛するこのクラシックタイについて記していくことにしましょう、、
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「Spitalsfield Tie」
「スピタルスフィールドタイ」は、紳士がそのワードローブに「揃えるべき」タイです、
極論を云えば、このタイ一本で全てのスーツが着こなせる、或いは、もっと極端なことを云えばワードローブに揃えるべきタイはこの一本だけであっても良い、、、
それが「スピタルスフィールド」というタイです、
ブログなどにも何度も記していますが、
第一次大戦以前までの「クラスの紳士」たちにとって、身に着けるべき或るいは身に着けることが許されるタイというのは極く限られたものでした、
タウンにおいては、出自を現すクラブタイとこの「スピタルスフィールド」、カントリーにおいてはウールのタイ、、たったこれだけです、
つまり、最もエレガントされるクラシックの時代におけるタイというのはそんなもので、実はそれで充分、コト足りるということです、
なかでもタウンのタイの「主役」といえるのが「スピタルスフィールド」です、
これは不思議なタイです、何にでも似合う、それだけでなく装いをエレガントに上品にみせる、
こんな重宝なものはない、
しかし、困ったことにこの「スピタルスフィールド」の「本物」というのがいつの間にか見つからなくなりました、、、
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このタイは「純粋なかたち」をしているだけに、「本物」でなければイケません、このタイの「モドキ」ほど悲しく、かえって締めている本人を「疑わしく」させるものはアリマセン、、
「スピタルスフィールド」の「本物」というのは、その「正確に」精緻に織られた「Black&White(正確にはエクリュ)」の市松の「正しい大きさ」という、「柄の正しさ」もありますが、
先ず、その「質の正しい在り方」というのが要であるのは云うまでもありません、
調べてみると、第一次大戦以前までのロンドンのシルク産業の主なマーケットは「傘に張るシルク」であったことが分かります、
この傘用のシルクの密度の高さは、SulkaSilkなどの「リヨンシルク」の全盛期に織られた「ジャカードシルク」を凌ぐもので、雨粒さえはじくものでした、
「本物のスピタルスフィールド タイ」は、この極めて高密度のロンドンシルクで織られ、汚れにくく、また汚れれば自宅で洗えるという実用に優れたものでした、
察するにランドリーの発達していない当時は、自宅のものは自宅で洗うことが一般的であり、そういう素材であることは極く自然で、当然のことだったのでしょう。絹だけでなくパナマというコットン、そしてアイリッシュリネンも「自宅であらう」ことこそふさわしい強靭な素材でした。(ヴィクトリア女王の息子エドワード7世だけは産業革命でスモッグの渦巻くロンドンで「洗濯される」ことを嫌い、わざわざシャツをパリのクリーニング屋に「送って」いたそうですが。)
しかし、それが第一次大戦以後、「傘用のシルク」のマーケットが化学素材の進出でしぼんでいき、ロンドンのシルク産業は「アクセサリー」(タイやスカーフなど)へ移行していきます、
この過程で実は、タイのシルクが「変質」していくのです、それは「進化」とも云えるのですが、「より見栄えの良い、光沢のある」シルクを目指すようになります、
シルクというのは密度を上げれば上げれるほど、「光沢」そのものは抑えられていきます、それに、雨粒をはじくほどの密度はタイやスカーフに「必要がない」と考えられたのも頷けます、
密度だけでなく「整理・加工」の仕方がより高度になりました、
「整理・加工」」というのは織りものの最終工程で、この工程では織り上がった布に毛並みをつけたり、均一な表面にしたりという加工を施して「完成品」にします、
現在のシルクは、大抵、この「整理加工」の工程で、織る過程で生まれた表面の凸凹を均して「綺麗に」(プレスをかける)します、こうすると「高そう」にも見えます、
これは、悪いだけではないのですが、「本物のスピタルスフィールド タイ」は、あえてこの「整理・加工」をせず、織りあげられた自然の風合いのままで仕立てられます、かなりの高密度で織りこんだ絹だからこそ「整理・加工」など余計だと考えられたのかもしれません、
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柄の正しさ、織りの正しさ、仕上げの正しさ、そして次に言及しなければならないのは「絹糸の質の正しさ」です、
これだけの高密度で織れば、大概のシルクはバリバリとしたものになりがちですが、当時のものはしなやかです、これは、黄金期のSulkaSilkでもそうであったように、この時代には「古代的な」方法でつくられた質の良いチャイニーズシルクがまだ手に入っていたのです、
いまや、絹製品の大部分が中国でつくられていますが、ご存じのように既に「質」は変容し果てています、
実は、この「糸の質」というのが「Spitalsfieldの旅」では最大の難関でした、
エジンバラのミルでも試してみましたが「糸が選べない」、織り物の仕上がりの70%は糸で決まると思いますがシルクというのは現在ではそのミルが持っている(手配できる)糸を使う他ありません、
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今回の「Spitalsfield」を「春峯×鐘月」という日本固有種の蚕を5世代掛け合わせることで「5A」といういままでにない「質」の糸でしたてられています。研究熱心な東京農工大学の研究者の方々、職人さんと出会ったことが、今回の特別なスピタルスフィールドタイの誕生にはとても大きく欠かせない出来事でした。
この「Spitalsfield」は、SulkaSilk以上の密度に織りこんでいますが、「春峯×鐘月」の糸の良さが唯一無二の「質」を生み出し、しなやかな柔らかさを生み、独特の「光沢」をも生みだしています、
先ほど記したように、あえて「整理・加工」をしていません、それでもこの精緻さとすべらかさです、
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「Spitalsfieldの旅」
理想の「Spitalsfield」をめぐっての私の「旅」は、これはもうひとつの「物語」といえます、
嗚呼、これは幾重もの変遷を経ていて、もう一度整理して語るには複雑すぎて適いません、とにかく私は私自身が心底から納得できる「Spitlsfield」を手に入れ、残したかった、それにつきます、
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人間が分かりあうというのは、簡単ともいえるし、困難を極めるともいえます、
多分、正解に近いのは「或る部分で分かり合い」、「或る部分にはそれ以上踏み込まない、おせっかいは禁物だ」ということではないかと歳寄りはそれなりに気づきました、
この「Spitalsfield」の旅を思い出してみて、自分が何故これに拘るかを理解できる「ヒト」に出会うためにこれだけの時間と労力を使ったような気もしています、
事実、この「Spitlsfield」が出来上がったのはそういうヒトに出会えたからです、
つまり、貴方が望むことは貴方を「或る部分」で理解してくれるヒトに会う必要があるということです、
それに、出会えれば今までの苦労は何だったのかというぐらいのコトが起こり始めます、
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「Spitlsfield」への興味は勿論、この古のクラスを代表する「タイ」との出会いから始まりました、
このタイは、不思議に何にでも上品に似合うのです、
古のクラスのヒトの持つタイは意外に少なく、この「Spitalsfield」、クラブタイ、そしてカントリーのウールタイぐらいのものです、いたってシンプル、、パープルのタイ、7つ折りの何とかかんとかなんてものはありません、
しかし、このタイはなるほど良く出来ていて、緻密に織られ、汚れがつきにくく、くすんできたら家庭で洗われていたと調べていた書物には記されています、
そして、このタイのシルクはどうしてこう密度が高かったのかというと
当時のロンドンのシルク専門のミルの戦前までの主要なマーケットが「傘に使うシルク」を織っていたことにあります、
つまり、雨粒を通さないほどの密度を持っている、それがこの「Spitalsfield」です、
当時は、これはロンドンシルクのシグネチャーでした、「ロンドンのものだけが本物」だったわけです、
(事実、古のロンドンシルク産業が活況を呈していた時代には、紳士はこのSpitalsfieldタイに限ってはロンドンのものを手に入れなければ「イケナ」かった、Spitalsfieldという名前、そのものがシルクミルがあつまっていたロンドン周辺部の地名に由来しています、)
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この「古の英国ロンドンのシルク」の探索を経て、ご存知のように今度は、「SulkaSilk」に私は心奪われていきます、
糸の良い、通常のシルクの3~4倍の密度で織られた「ジャカードシルク」、、、
今度は徹底して「異常な高密度」ということと、「良いシルクの糸」の研究にのめり込んでいきます、
この間、実はエジンバラの19世紀から始まるミルとの出会いなどもあったのですが、「糸が選べない」ということもあり、試し織りも悪くはなかったのですが、bestともいえなくて頓挫しています、
そして、終に、この「Spitalsfield」が織れました、
これは、完全に織りを解析し、良い糸をさらに高密度に織ったものです、経糸に黒とエクリュの糸を、横糸にネイヴィーとエクリュの糸を配し、精緻に驚くほど緻密に織りこみました、
これだけ高密度に織ると光沢が弱まるはずですが、糸が良いので光の具合で味のある光沢を見せます、
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「春峯×鐘月」はどちらも日本の固有種の蚕です、東京農工大学はこの日本古来の2種の蚕を掛け合わせ世界最高質の絹をつくりあげようという研究プロジェクトをすすめていました。掛け合わせの蚕は5世代を経ないと糸を吐き出しません。またその間、桑を食べることができないので従来は人工飼料を与えていました。しかし理想の飼育環境を目指した東京農工大では桑を粒子状にし5世代の最初の繭から桑を与えることに成功をしたのです。そして出来上がった糸は「5A](従来は2Aが最高値)という驚くべき「質」に到達したのです。
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このタイはもはや「タイの概念」を越えた質を誇っています。
大概のシルクはこれだけの高密度で織れば、バリバリとしたものになりがちですが、
この「春峯×鐘月」は、SulkaSilk以上の密度に織りこんでいますが、やはり糸の良さがしなやかな柔らかさを生み、独特の「光沢」をも生みだしています、
現在のシルクは、大抵、「整理加工」の工程で、織る過程で生まれた表面の凸凹を均して「綺麗に」します、こうすると「高そう」にも見えます、
あえてこの行き過ぎた「整理・加工」をせず、織りあげられた自然の風合いを大切にしました、かなりの高密度で織りこんだ絹だからこそ「整理・加工」など余計だとも思いました、
ただ、研究熱心な職人さんに出会ったことが、とても大きいと私は実感しています、
仕立ては「絹の塊」、「絹のみをで仕立た」六義アトリエ独自のbespoke仕立てです。、
贅沢にも芯地として六義春峯×鐘月スピタルスフィールドそのものを三枚縫い込んだ「絹の芯地」を使っています、これは世界で「唯一」であると誇れます。
それを「ダブルパターン」と私と職人さんが呼んでいる仕立て方、つまり、ふたつのネクタイパターンをつくり、なかに前述の絹の芯地を挟み込み縫い上げています。
これは口でいうのは優しいのですが、このアトリエ独自の「ダブルパターン」を仕上げるときは、普通のタイの制作を止めて、これに集中してもらいます。
そうしないと職人さんが混乱して「生産ライン」ができあがらないのです。
精緻な六義パープルの花閂、少し幅広の小剣、bespoke仕立て、
密度としては前回より高密度な織りです、
職人さんと作り上げ或いはどこにも存在しない「六義bespoke tie」、絹だけで出来たタイは手触りに「快楽」があります。そして締めやすく、緩まない。締め心地がちがいます。
普通のタイに使われている毛芯は表地の絹とどうしても違和感が生じます。本物のbespoke
shoes がすべて革でできあがていいるように、絹のタイは絹の塊であるのが自然です。
サイズは長さ約140センチ
幅(大剣の最大)8センチ
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